今に残る塩付街道は、富部神社南の坂道を登り−<旧東海 道を横断>−桜神明社−東宝寺西−鳥栖神明社西−外山水路の塩付橋−<瑞穂区に入り>−瑞穂 公園−昭和区石仏(いしぼとけ)町−川名町−東区出来町へ出る。途中に汐路町 (しおじちょう、瑞穂区)、塩付通(昭和区)の地名が残る。
江戸時代、南野・牛毛・荒井・戸部・山崎・笠寺・本地を星崎七カ村と呼んだ 。中世から近世にかけてここの星崎塩浜で塩がつくられた。この塩は各村々にあ る塩倉へ集められ、馬の瀬にのせられて尾張、美濃、信州信州の各地へ送られた 。この道が塩付街道である。 起点は明らかではないが、松池町3丁目あたりに高い塩倉が残っていた。

桜神明社古墳:桶狭間合戦のときには、この境内が織田の兵の宿舎となったと伝えられている。
富部神社から東へ往くと森が見える
古墳が神社として祀られた。
電車が通る。神様もさぞ煩かろう
桜本町辺りの塩付街道
鳥栖の塩付街道
ほぼ原形をとどめる鳥栖神明社古墳

成道寺:境内は、鳥栖城跡と考えられ、この一角に城主成田公夫妻の墓碑と伝えられる石仏二体がある。その一体に「鳥住伝心浄本菴主」「永正十二年(1515)乙亥正月十二日」と刻まれ、紀年銘としては市内最古のものである。
藤棚の美しい山門
市内最古の銘がある石仏
小高い丘に往時の権力者が祀られる鳥栖八剱社古墳