名古屋の街は洪積世台地の上に形成されている。この台地は名古屋台地とよばれ、その東側には丘陵が張り出し、北側・西側・南側には沖積平野や干拓地が広がっている。台地の西半分は名古屋城を北端とする那古野(なごの)台地で、古代の人々の居住域と考えられ、台地北部の崖下には海岸線がせまっていた。
七尾神社
祭神は菅原道真。別名亀尾天満宮とも呼ばれる。昔この辺りは、名陽五景の一つに数えられていた。
境内には、筆塚や、七度水をかけると願いが成就すると言い伝えられている「七尾の亀」があり、学問の神様として親しまれている。

片山神社
この社を延喜式神名帳の山田郡所在の片山神社。片山八幡宮は春日部郡所在の片山神社である。
祭神は
 主神 蔵王(ざおう)大権現
 右神 国狭槌尊(くにさちのみこと)
 左神 安閑天皇
境内に富士浅間社、白山社、秋葉社、香良須社、金刀比羅社、玉津島社、稲荷社がある。主神の蔵王大権現から役の行者とのつながりが考えられるが定ではない。現特に目をひくのは、本殿の4隅の4本のクスノキ、西側のクスノキ,神木といわれたスギである。4本のクスノキは、明治29年に田口庄次郎氏が植えたもの。巨木のクスノキは、日露戦争の勝利を記念して明治39年に植えられたと伝えられている。スギは大正9年、落雷のため枯死したが今もなお保全して面影を残す。
この神木のスギは『東区の昔話と伝説』(岡田弘著)によれば以下のような言い伝えがある。晩秋から真冬にかけて、ドンドンと太鼓の音がする。急いで蔵王さんまで来てみると、別の方向で太鼓の音がする。天狗が一晩中叩いていたようだ。この話が江戸に伝わり、神田のおはやしの連中が泊まり込みで来名し、この社の天狗の神楽(かぐら)に合わせて踊り、それが今の神田明神のおはやしになった。と伝えられている。幹8メートルほどの天狗が腰かけていたとされる枝が保存されている。
「蔵王の森」の中に入ると、林中にアラカシ、低地にはムクノキがあり、シラカシ、アベマキ、カクレミノなどが雑然として生い茂り、下には、アオキ、ベニシダなどが群生している。
片山神社の境内を中心に縄文時代から中世までの遺産物が散布する。また、縄文時代中期の炉の跡1基が調査されている。この遺跡は戦前から知られていたが、昭和36年の本殿改築の際に、弥生時代前期の包含層や中期のかめかんが発見された。

片山八幡宮:延喜式神名帳に記載される春日部郡の片山神社と考えられる。小牧市村中字洞木にも片山八幡社があるが、どちらかが一方の勧請社と考えられる。継体天皇5年に鎮座。戦の神で、源氏の氏神、八幡大菩薩が祭られている。後この社を崇拝した二代尾張藩主光友が再興したと伝えられる。
氏神は
 主神 品陀別命(ほんだわけのみこと)  
 右神 菊理姫命(くくりひめのみこと)
 左神 天照大神(あまてらすおおかみ)
 社伝によると継体天皇(在位509〜531年)の時代に尾張国山田郡片山郷から現在の地に奉祀した。戦国時代には、頽廃し、熱田神宮に預けられた。尾張2代藩主光友の信仰が厚く、以来毎年藩主の代参が行われた。社宝に光友筆の社号扇額がある。この社の位置は、名古屋の中心から北東にあたるため、鬼門除けの宮として篤く信仰されてきた。例祭は10月18日。

神明社
天照大神を奉祀、山口町一帯の総氏神として崇敬が厚く、寛永5年(1628年)に 再建される。社宝として神社古記録、御輿などがある。昔は、山口神明社とも、赤塚神明社ともいい、湯立(ゆだて)神事,茅輪(ちのわ)くぐり神事などが行われていた。楠木正成の像がある。

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