野並、相生、山根の3学区にまたがる相生山緑地は、123へクタールという市内有数の広大な面積をもち、良好な自然を残している。緑地内に桜並木があることは、あまり知られていない。野つつじが咲き、野うさざの姿を見かけることがある。秋になると市内では珍しいコノハズク、ヤマシギの鳥に出くわすことがある。平成10年4月にはオアシスの森が整備された。
鎌倉街道:野並八劔社の裏の細い曲線を描く小道が、昔の鎌倉街道(上野道)の名残である。鎌倉街道は熱田の宮から瑞穂区井戸田より南区桜を経て野並、緑区古鳴海を通り嫁ヶ茶屋に休息し、丘陵沿いに相原郷から二村山を越した。熱田と鳴海のあいだ50丁の間に干潟があり満潮時には上野へまわり、干潮時には近道を通った。往古は南区村上社の大クスノキのもとが渡船の発着点であったという。
野並八劔社:祭神は、日本武尊、天照大神のほか7祭神を併祀。八劔社は、旧熱田大神宮大宮司であった千秋家の領地であった関係から熱田神宮にある八劔社の分神として当地に祀ったのがその始まりである。

千秋家の墓:梅野公園の東にある墓地のうち、南側の一段高<なっているところが千秋家の墓である。信長により野並はじめ三ヵ村の所領をいただいた旧熱田大神宮の大宮司千秋家代々並びにその家臣の墓標が建てられていた。しかし、江戸時代には、墓標を建てることは許されず、塚を造りその上に松一本を植えてそのしるしとしていた。現在の墓標は明治以降のものといわれる。

東海豪雨:2000年9月11日、記憶に新しい水害はこの郷下川の水量を処理できなかったことが原因のようだ。
排水ポンプの浸水による停止が原因で上の写真の郷下川と合流する藤川も周辺の雨水を集めて氾濫した。
野並・井の森・中坪町、ここらはすべて水没した。懸命の水害防止の工事がすすめられています。

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