現在の大須は、ショッピングなどを楽しむ庶民的な街。かつては、清洲越しで移転し、軍事防衛の南寺町として栄え、今も神社や寺院など多くの史跡が残る。真福寺(大須)文庫は、国宝の古事記を始め貴重な蔵書が収蔵されている。
大須観音(宝生院真福寺)
真言宗智山派の寺院。もと美濃の大須にあったのを家康の命により洪水のないこの地に移したといわれる。その後明治の大火、戦災と焼失し現在の大須観音となり、仁王門、大須文庫、鐘楼などがあり、国宝四点と40点近い国の重要文化財があります。毎年2月の節分会には大勢の参拝客で賑わいます。右下は境内にある郷土芸能大正琴発祥の地の記念碑です

万松寺
尾張一円を領していた古渡城主織田信秀(信長の父)が織田家の菩提寺として開基した。ご本尊は十一面観世音菩薩、曹洞宗本山総持寺の末寺、当時は今の中区錦と丸の内2,3丁にまたがる大殿で中心に七堂伽藍が備わった一大寺院であった。
慶長15年名古屋城築城にあたってここに移転した。当時は寺域は2万2千三百九坪あったが大正元年、時の三十七世和尚がその大部分を開放し大須を名古屋の大繁華街とした。天文21年3月3日父信秀公の葬儀がここ万松寺で営まれたさい、荒馬の袴姿の信長が焼香の時、鉢香を位牌に投げつけた逸話は有名で、また天文16年(1547年)三河の松平竹千代(のちの徳川家康公)が6歳から2年間万松寺で暮らしたことがある。

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