安食(あじき)荘は、今の成願寺、中切、福徳を含み、神名の味鋤高彦根(あじすきたかひこね=物部氏の祖)または地形から葦敷(あししき)からか判別できず。後年、鎌倉期に東区の長母寺(ちょうもじ)無住国師が安食を福徳、大井を如意と改める。
成願寺
 慈眼山と号し、天平17年(745)行基の創建と云う。山田・安食一族の菩提寺であった。はじめ安食荘司源重頼の法号にちなみ常願寺といったが消滅、のち山田重忠が再興した。昭和8年の矢田川改修にともない現地に移された。伝・行基作の本尊・木造十一面観音は市内で最も古い仏像で有形文化財の指定を受けている。
 『尾張徇行記』によると、「稲置街道味鋺川(庄内川又は玉の川ともいった)の渡場は九月ヨリ三月マデハ仮橋、水主ハ村方ニテ八人ヅツ出、上七十ヶ村問金往来人馬賃銭ヲ取来レリ」とあり、季節のより渡る方法が違っていた。味鋺川(庄内川)は、軍略上から橋が架けられなかった。船渡しが主で、水期の10月〜2月までは、仮橋が架けられた様子が天保の頃の絵図で見られる。

別小江神社(わけおえ)
祭神「伊弉諾尊、伊弉冉尊、大日靈尊、素盞嗚尊、月讀尊、蛭兒尊」
延喜式に従三位とある古社であるが詳細は不明。

成願寺六所神社
山神社・お福稲荷
祭神は大山祀神(おおやまつみ)。天正年間(1573〜92)安井将監・浅野長勝が、安井城を築く際、鬼門の守護神として勧請した。安井城はこの神社の西南に位置し、当時は相当な館であった。
福徳八龍神社:龍は庄内川のことである。太古から氾濫を繰り返していた。

光音寺六所社
中切神明社:あたりは小高く円墳の可能性を残す。

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