熱田と佐屋を結ぶ佐屋街道。佐屋から桑名までは船で下るが、「七里の渡し」から海路を行くより穏やかで安全なため女性や子連れの旅人に好まれた。道は津島の東側を南下し佐屋へ入る。佐屋から木曽川を下って、桑名までの船旅となる。
埋田の追分:日光川を渡ると埋田の追分となる。現在この地に残されているのは道標・常夜燈・鳥居の根元石である。文字通り交通の分岐点であり、往時の三叉路である。
道標は次にように刻まれている。
 東面 「右 つしま天王みち」 北面 「左 さやみち」 南面 「東 あつた なごや道」
これらの遺物は荒れるに任せて放置されているとしか言い様のないありさまである。
北面 「左 さやみち」 南面 「東 あつた なごや道」 明治天皇お手植えのツバキ
佐屋宿は家数290軒、人口1260人、本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠は31軒で佐屋路の4宿の中では最大の宿であった。問屋場も1ヵ所あり本陣役加藤家(加藤高明首相・大正13年6月〜14年8月)が勤めていた。また、佐屋宿には佐屋御殿が置かれてた。尾張藩祖徳川義直が鷹狩りの際の休憩所、将軍家光の上洛の際に利用されていた。
佐屋の交差点には、佐屋三里の渡し跡となる。現在は川は流れていないので、渡し跡の面影はない。この付近には「左さや舟場道」「佐屋代官所址」「佐屋三里之趾」の碑が建てられている
左 さや舟場道 佐屋三里跡 当時の繁栄と代官所跡