中山道69宿のうち木曽には11の宿場があり、馬籠宿は板橋を1番目とすると43番目になり、江戸からの距離は332kmになる。
道路が南北に貫通しているが急な山の尾根に沿っているので、急斜面で、その両側に石垣を築いては屋敷を造る「坂のある宿場」と明治の文豪「島崎藤村」の故郷で知られる。

2003年5月29日:妻籠〜馬籠間の旧中山道。山中の細道に往時の旅人達の心細さ「木曽路はみんな山の中」を実感しました。山道を抜け、宿場に着いた時の安堵感までが偲ばれます。往時の街道をトレッキングする人も見かけました。
2003年5月29日:到着が夕方となり、藤村記念館やら本陣跡の見学もできず残念でしたが、坂の宿場は満喫。
明治新政府の発足により宿場は廃止された。1882年(明治25年)中山道に変わって木曽川沿いに国道が開設され、さらに1912年(明治45年)国鉄中央線が全線開通したことにより、馬籠、妻籠は全く人通りが絶え、両村は陸の孤島化し、村の経済は急速に寂れていった。救いは文豪「島崎藤村」の故郷、小説の舞台を見ようと人々が押し寄せ、観光政策が展開され、火災により旧宿場は全焼したにもかかわらず復旧し今日に至る。