高野山 町石道の由来 
 平安時代、空海が真言密教の根本道場として開設していらい、高野山は現世浄土として広く信仰を集めています。古くからこの聖地へ向かう道は幾本もあったが、山に近付くにつれて合流、七つの道に集約され山内に入って行く。その七つのうち、九度山の慈尊院(空海の御母堂が住せられた院)から山上西口の大門へ通じる表参道を高野山町石道といい、開山のおり空海が木製の卒塔婆を建てて道標とした道である。
 鎌倉時代、NHK大河ドラマ「北条時宗」でおなじみの安達泰盛の指揮のもと、後嵯峨上皇、北条時宗、正村等の援助を得、朽ちた木にかわり石造り五輪塔形の町石が1町(約109M)ごとに建てられ、36町ごとに里石(4本)が建てられ、20年の歳月をかけて1285年に完成した。町石は空海の生地、讃岐産の花崗岩で高さ3.3Mを使用している。
 山上の根本大塔を基点に慈尊院の石段途中を最後に180町石を建て、胎蔵界180尊にあて、さらに大塔から奥の院まで36町石を建て、金剛界37尊とした。天皇、上皇から庶民まで、1町ごとに合掌しながら登山したこの道は、まさに祈りの道、信仰の道です。
 町石は完成後700年間に数度の補修で50基程が再建された以外は創建当時のままで、国の史跡に指定されています。
高野山町石道を歩く
2001年正月を期して町石道を高野山まで歩いて登り、町石を写真に収めようと思い立ち
早速実行しましたが、寒さのためレンズの結露をまねき、雨にもたたられさんざんでした。
結局、80町石まででバッテリー切れと足の痛みで断念し下山しました。
残りは後日ということで、それなりに楽しめました。
登ってみたい人はくれぐれも事前の準備(水・弁当・つえ・タオル・雨具・ケータイ)と足腰の鍛練を怠りなく。
2001年8月13日撮影

2001年1月3日撮影